2007年9月5日水曜日

ブルックリンの野球文化

かつてニューヨークには3つのメジャーリーグのチームがあったことは周知の事実である。ニューヨーク・ヤンキース、ニューヨーク・ジャイアンツ、そしてブルックリン・ドジャースである。NYヤンキースの人気と実力は疑う余地はないが、かつて存在した他の2チームも大変な人気を誇ったそうだ。

この時代、つまりメジャーリーグ創世記の話しやエベッツフィールド(ドジャースの元本拠地球場、下記写真)にまつわる逸話など尽きないが、それは別の機会に話すことにしよう。



でもって1957年のシーズンを最後に、ジャイアンツはサンフランシスコへ、ドジャースはLAにそれぞれ移転することになる。理由は球団拡張政策によるもので、当時はニューヨークを中心とした東海岸と中西部までしかメジャーの球団は存在しなかったが、この政策で当時発展が見込まれた西海岸マーケット(SF、LA)へ進出することとなったのだ。

もちろん理由はそれだけでなく、球団の事情や思惑もあったと聞くが、とにかくファンの移転反対運動はすごかったらしい。まあ結局は、せめて2つのチームカラー(ジャイアンツのオレンジと、ドジャースのブルー)だけはNYに残してくれと言って、オレンジとブルーが5年後の1962年に誕生したNYメッツのチームカラーとなった訳で・・・

ちなみにドジャースのチームカラー「ドジャーブルー」は、LAの抜けるような青い空をイメージした的な解釈を聞くことがあるが、これは間違いである。もともとはブルックリンの労働者階級の人々=ブルーカラーの人々をレプリゼントしたものなのだ。B-Boy的に言うとレペゼンだ。関係ないか。



まずい、話が全く違う方向に進んでしまった・・・




先述したNYの怪物人気球団と、この話が最終的にはつながる予定だが、今日は疲れたのでこの辺で。。。既に察しがついている人もいるだろうけどね。

ほな、また。

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